狂気の河の向こう側へ【4】

こんにちは。

久しぶりの投稿になります。

 

私に住まいの近所には生田川が流れており、

その川沿いには桜が美しく咲き誇っています。

ちょっと緑の葉も出てき始めており、

散っていくのもそろそろかなあと思います。

 

学生の頃、新渡戸稲造の「武士道」を読み、

桜の花が咲き誇る姿、そして潔く散っていく姿は、

武士(もののふ)の生き様にあっており、

大和魂を思い起こさせるパワーがあるのだと感じたものでした。

 

美しく咲くために一所懸命に生きる。

 

また美しく散るために、

何の後腐れもないよう潔く堂々と、

またいつ死んでも後悔しないように精一杯生きる。

 

桜の咲く姿、散る姿に感銘を受けた幾多の武士(もののふ)たちが、

桜のような潔い生き方を通して、自分の哲学を表現したのでしょうね。

 

先日は、中小企業同友会のご案内が届いていまして、

面白い企画が打ち立てられておりましたよ。

 

ハーバードで人気だった「レディサムライ講義」を

女性経営者向けに紹介しておったんです。

 

おお!!!!

 

男の私は、女性には戦いに参戦させたくはないですが、

私も含め、男が情けないというか、「なんだ!この体たらくは!」てな有様ですからね、

女性も黙っておれないのでしょう。

 

「レディサムライ」ですって!!!!

おお!女は実は怒ったらすごい怖いんだぞ!!!!

8割がたの家庭は、実はかかあ天下だぞ!!!!

なんて思ったものでした。

 

ああ、本日は「狂気の河の向こう側へ」というタイトルでしたね。

 

日本で3本の指に入るのではないかと思われる精神科医で

中井久夫先生という方がいまして、

多数の学術的な本を書かれていることでも有名ですが、

精神科のテキストとなるような本格的な専門書も多く書いておられます。

 

その中井先生が、

「患者の状態がよくなることとはどういうことだろうか」と思案したならば

それは「発病前の不安定な状態に戻ることではないと考えたい」というふうに

言っているんですよね。

 

発病前、健康に思われた日々、

無垢であったかもしれないが幸せを感じながら生きていた。

 

そんな日々に戻りたい・・・・・。

 

そのように思う方は結構多いようですが、

それは不安定な状態に戻ることでもあって、

また過去に戻りたいというノスタルジーは

人間心としては確かに自然ではありますが、

 

やはり苦しい経験を何か発酵とでもいいますかね?

深~い味わいのあるまったく別物の自分に変化させていってね、

で、底堅さとかも身に着けてね、あと、いろいろ達観。

 

「人間ってこんなものさ、悲しい面もいっぱいあるけど

捨てたものではないって面もいっぱいあるのよね」

 

みたいなね、こんなところに思考がおちついてきたら

そのころから人生がちょっとずつ変わりだすのでけれどね。

 

私はこういう変化に、

「狂気の河を渡る」

みたいなイメージを持っています。

 

狂気の河の経験者は少ないですが、

その中でも向こう岸までわたる人は、

まあなかなかおりませんですけれどね。

 

ちょっと常人とはいろいろな面で異なった角度から

ものを見る、ものを聞く、また語る人になっていくだろうと

思いますけれど、

狂気の河を渡った人の社会への貢献など、これまたなかなか

面白い面があるんじゃあないかと思っております。

 

まあまあまあ、私自身も何を言っているのか

よくわからない面が自分でもあるんですけれどね。

 

しかしトータルで解釈していただければ、

それはそれで面白い話だとも思います。

 

狂気の河を渡りきる人がたくさんいれば、

この世界は面白いことになるのではないか???

 

そんなふうにも思うのですよ。

 

ん~~~、まあ訳の分からぬことをほざく

50歳男でした。

 

かめ

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